ネット上でファイルを共有出来るソフト「Winny」の開発者が著作権法違反幇助容疑(つまり、犯罪を援助した?)で逮捕され、賛否両論が繰り広げられている中、今度は個人運営の大手ゲーム関連情報サイトの運営者が著作権法違反(公衆送信権の侵害)の容疑で逮捕された。実際、この2つの逮捕は似ても似つかない問題のように思えるが、同じネット(だけではないかもしれないが・・・)上で
規制と呼ばれるものによって裁かれようとしている。
そもそも、規制ってなんだろうと思い、何故か辞書で調べてみる
【規制】
(1)規則によって物事を制限すること。
(2)物事をなす際に従うべききまり。規定。
規則?規定?・・・ 再度調べる・・・
【規則】
(1)行為や手続きなどを行う際の標準となるように定められた事柄。きまり。
(2)法則。秩序。
(3)国会以外の諸機関によって制定される法の一種。法律・命令などとならぶ実定法の形式の一つ。衆議院規則・参議院規則・最高裁判所規則・会計検査院規則・人事院規則などのほか、地方公共団体の長の定める規則などがある。規則は法律に違反することができない。
【規定】
(1)物事のありさまややり方をある形に定めること。また、その定め。
(2)法令の条文として定めること。また、その条文。
なるほど。。。
とりあえず理解できた事は、3つとも(名詞)であるということ(ぇ
冗談はさておき、法律にしろガイドラインにしろ、世の中はある意味【規制】というもので成り立っているように思える。普通に生活してれば特に考えもしない事だけれども、たとえば、
「
赤信号では止まらなければならない」(交通法での決まりごと)とか、
「
燃えるごみを出せるのは月・水・金」(各地方自治体等)とか、
「
タバコの自動販売機は23時ー翌朝5時まで販売停止」(これも地方自治体?)とか、
「
タバコは玄関を出てから吸う」(家庭内家訓(ぇ)とかね。
こうやって身近なものも考え始めると、全てにおける行動・言動が何かによって定められている。この定められた何かに対して、「縛られている!」と考えるか否かは個人の考えにもよると思うが、「定められた何か」が無いと私たちは生きていけないのだろうか?
無人島で暮らす以外は有り得ない事だけどね。
まぁ、話は戻って・・・
マイケル・ムーア監督の最新作「華氏911(邦題)」がカンヌ国際映画祭のオープニング作品に選出されて(されようとしている?)、全世界に波紋が広がっている。
規制の話をしているのに、なぜ映画なのかというと、この作品がいわゆる
アメリカのブッシュ政権を激しく批判する映画で、この映画をめぐりアメリカの政権と映画界が規制という名の下に激しく揺れ動いているからである。どこまで信憑性のあるソースなのかはわからないけど、製作開始前後に政権内部から製作中止の圧力があったり、この映画を配給するのがディズニー傘下のミラマックスで、ディズニーには何かと不都合(政権との関わり)があるみたいで、ミラマックスに対して配給をさせないような動きをしているとかどうとか・・・。
ここでの規制ってなんだろう?
アダルトな内容だから?(ぇ
もちろんそんなことではないね。
民主主義であり、自由を一番に尊重する国で、言論の自由(表現?報道?)を真っ向から抑圧しようとしているように思える。この映画がノンフィクションに近いもので仕上がっているからダメなのかな?真実さえも、規制で裁く事ができるのか?(まぁ、実際のところは真実かどうかはわからないが、ここではそう考えてみる)
何か出されては困るものがあるから・・・
大統領選を控えてるから・・・
まぁ、報道や記事を見ただけだが、こういう風に考えてしまう。
こういうのをみると、絶対権力のある規制って、やはり上に立つ者の都合で作られているようにしか思えない。今の日本も年金とかもろもろの法案を改定しようと必死だけど、果たして、そこには何があるの?規制があることが本当に良いことなのか?
等と、昨日寝る前に小一時間考えてた私でした。